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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2008年07月05日

旧キャリアスタートウィーク

よく考えたら私が中学1年の時もありました

そんな横文字の名前ではなく

当時は
[じべつけ]と言いました

じべつけとは、ぶどうを種無しにするため、まだ小さいうちに一つ一つ薬品を着けていく作業です

元々は透明な液体らしいのですが、着けたかどうかが分かるように紫色の色が付いてます





帰りはまるで討ち入りの後の様になります




三年間この色が落ちる事はありませんでした...  

Posted by ⇒ガGラ at 14:08Comments(8)

2008年06月22日

ドラゴンクエストⅢ

1988年2月10日
私は商店会の研修旅行という事で東京にいた

研修も終わり、宿泊する新宿のとある高級ホテル(会持ち笑)にチェクイン

他の人達は飲みに行っちゃったので、私は一人で新宿の街をブラブラする事にした

確か今日は【ドラゴンクエストⅢ】の発売日で朝からオモチャ屋には長蛇の列ができたというニュースをしていた

ヨドバシカメラの前を通ったその時

店頭に店員さんが出て来て
「只今ドラゴンクエスト入荷しました!」
と息を切らしながら叫んだ

「なぬ」

一瞬立ち止まって様子を見てみたが、誰一人としてその声に反応する人はいなかった

「?」

私は店員さんに近寄り
「ドラクエあるの?」
と聞くと

店員は「はい。今入りました!」と答えた

「ホンモノなの?」
私は続け聞いた

「勿論ホンモノです!」

「Ⅲ(スリー)なの?」

「はいスリーです!」

という事で、なんとあっさりと手に入れてしまった

それから店員さんは

「ホンモノのドラゴンクエストのスリー入荷しました」
とセリフを付け足して叫けびだした

【ドラゴンクエストⅢ〜そして伝説へ…】はドラクエシリーズの最高傑作だと思ってます


当時貰ったポスターが今でも部屋の片隅に飾られています


これがファミコン版


そしてリメイクしたスーパーファミコン版



いつか続けてプレイしたいと目論んでいます
(ただスーパーファミコン自体がもう…)




■ドラゴンクエストシリーズ■
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Posted by ⇒ガGラ at 16:16Comments(8)

2007年08月26日

サインをもらった日

〜人にはどうしても忘れられないサインがある〜


よく子どもの頃、○○ショーというのを見に行った

ある日、七日町の駐車場だったと思うが、そこで仮面ライダーショーがある事を知り、早速行ってみた

そこにいたライダーは、あちらこちらが、すっぱげていて、なんとなくショボく、なんとなく違和感を感じたのだが、数々の戦闘のキズ跡なんだろうなぁと、子供ながらに考え納得していた

その日はライダー対かまきり男だった

結構、かまきり男は不気味だった

20分くらいのショーが終わるとサイン会が始まった

「おー!ライダーにサインしてもらえる!」
まるで夢の様だった

順番を待ち、遂にライダーのサインをもらった

ところが…

たのんでもいないのに隣に座っていた、かまきり男も勝手にサインしやがったのだ

「……」

握手を求めてきた、かまきり男を振り払い、泣くに泣けない思いで、七日町大通り商店街を後にしたのだった
  


Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(9)

2007年08月25日

男だ!になれなかった日

〜人にはどうしても忘れられない視界がある〜



これまた小6の頃
テレビの青春ドラマ
【俺は男だ!】にハマっていた時期があった

主人公の森田健作に憧れ、トレードマークだった坊っちゃん刈りを真ん中から、無理矢理に分けて、その気になっていた

しかし、やはり森田健作になるには【剣道】が不可欠だった

そこで私は剣道を習う事にした

剣道の道場は、歩いて10分もかからない、旧上山警察署にあった

礼の仕方や、擦り足の練習、竹刀の握り方や、素振り
通い始めて3ヶ月後

防具を着ける日がやって来た

遂に森田健作になれる!
これで私も【俺は男だ!】だ
(笑)

ところが面を着けた瞬間、何とも言い難い恐怖が沸き上がって来たのだ

な、なんだ?
この息苦しさは…

動いている内に頭に着けた手拭いがずり落ちて来て、視野が狭くなってくる

自分の呼吸がダイレクトに耳に響いてくる

いい知れぬ恐怖がドンドン膨らんでくる

そう私は閉所恐怖症だったのだ

その日から一度も練習に出る事はなかった

俺は男…までは行けたと思うのだが、最後の【だ!】と言い切れない虚しさが残ったのだった
  

Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(5)

2007年08月24日

ホコリまみれの日

〜人にはどうしても忘れられない言葉がある〜



あれは小6の朝会の日

体育館の入り口で立ち往生していると、クラスメイトの女子が振り返り

【ガジラ君ってプライド高いよね】
と言い放った

あまりの突然の事と、今まで聞いた事のないカタカナの言葉に戸惑った

「プライド?ブラインド?ナニナニ?」

その日一日、その言葉で頭が一杯だった

「誉められたの?けなされたの?」

家に帰り、早速、辞書で調べてみた

【プライド】
ほこり…


埃(ほこり)が高いってどういう事?


【ブラインド】
日除け


日除けが高い?
なんとなく文章としては、分からずでもないが…


次の日もう一度聞いてみた

【プライド】

埃(ほこり)の方だった

わがらね〜


その女子も、覚えたての言葉を、ただ使ってみたかっただけだったのかもしれないが、しばらく私はその言葉に悩まされる日々が続くのでした
  

Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(11)

2007年08月23日

大好物になった日

〜人にはどうしても忘れられない味がある〜


山形の丸久デパートの食堂で、注文したお子様ランチを待っていたら、偶然、イズル君親子とバッタリあった

「あら〜」という事で相席となった

しはらくすると、私が頼んだお子様ランチが来た

パクパクと食べていると、次にイズル君の注文したモノが運ばれて来た

私はそれを見て驚いた

な、なんだ?その食べ物は…

それは、色の付いていない白いスパゲッティの上に、味噌のようなモノが乗っかっていた

イズル君は食い慣れているかのように、上手にフォークを使い混ぜ混ぜしながら、その奇妙な食品を食べていた

帰り際に、ケースにならんだサンプルを見て、それが【ミートソース】という名前の食べ物であるという事が判明した

後日
それを注文し食べたところ、涙が出るくらい、んまかった

それ以来、デパートの食堂のミートソースは、私の大の好物となったのでした
  

Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(11)

2007年08月22日

赤く塗られる日

〜人にはどうしても忘れられない色がある〜


お見舞いのコメントでも書いたのですが、何故だか分からないのですが、白い包帯や眼帯に憧れていた頃がありました

しかし、転んですりむいたくらいでは、包帯は巻いてもらえず、代わりに【赤チン】を塗られるのでした

今では赤チンは水銀がどうたらで販売中止になっていますが、昔は、なんでもかんでも赤チン、もしくはオロナイン軟膏と決まっていました

しかし、なんで赤チンは擦り傷の出血を大袈裟にするような真っ赤な色だったのだろうか?

青色というのも気味が悪るそうだが…

たとえ、体のあちこちを赤色の赤チンで染めていっても、指一本に巻いた白い包帯にはかなわなかったっけ…


しかし、あの赤チン
なかなか落ちなかったよねぇ
  

Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(10)

2007年08月21日

悪魔祓いの日

〜人にはどうしても忘れられない体験がある〜


こんな事を書いて良いものか分からないのですが、私は幼い頃【疳】というのが強かったらしく、ある日突然、ぬるめのお茶のようなモノが入ったタライに両手を浸けさせられた事があった

それは疳の蟲を追い払う、まじないらしかった

しばらくすると、周りで見ていた大人達が一斉に「出だ!出だ!」
と言った

私には一体何が出たのか、分からなかったのですが、なんか指と指の間から白い糸の様なモノがスーと出て行ったのだそうです

それから、どんな風に性格が変わったのか?
そもそも【疳】とは何なのか?
は、未だに謎に包まれているのですが、あの有名な【宇津救命丸】の効能にも、疳の蟲…と書かれているくらいなので、何かが実在するのだろうと思います

疳の蟲は子供のうちに出しておきましょう
  

Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(9)

2007年08月20日

御見舞いの日

〜人にはどうしても忘れられない憧れがある〜


私は、この歳になるまで入院の経験が無い


小4辺りからボチボチと盲腸で入院するクラスメイトが現れ始めた

それほど親しくもない友達だったが、先生に声をかけられ入院している病院へ御見舞いに行く事になった

学級委員でもない、イチ庶民児童の私が何故、指名されたのかは永遠の謎である
初めてのお使いというのがあるが、これが初めてのお見舞いだった

先生と私と女子と3名で、いつの間に誰が用意したのか分からない花束を抱えて病院へと向かった

それほど親しくない友達は、元気そうにベッドに座りニコニコしていた

テーブルにはプラモとか、マンガ本とか、お菓子とかが置かれてあった

それを見た瞬間
なんとここは幸せ空間なのだろう
と思った
(不謹慎な表現ですいません。子供の頃思った事なので、おゆるし下さい)

一日中パジャマで、お菓子食べながらマンガ読んでプラモ作りができて、クラスのかわい子ちゃんが見舞いに来てくれるなんて羨ましいかぎりだ
と思ったのだ


その親しくもない友達は、照れくさそうに先生の話を聞き、女子からの花束を受け取っていた

私も何かしなければと思い、必死で楽しい話をした

そして初めて盲腸手術の後は笑うと痛いというのを知った

無事、見舞いを終えて外に出ると、なんだかひと仕事を終えたような清々し気分だった

「入院っていいな」
とボソっと言ったら、先生は苦笑いしていた

それから私は自らを見舞い委員と称し、毎回先生とその都度違う女子と3名で、あちこちの病院をまわったのでしたが、私自身が入院する事はなかった

そしていつの間にか、お菓子食って、マンガ読んで、プラモ作って幸せ〜の歳ではなくなってしまいました
  

Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(13)

2007年08月19日

ライダーをやめた日

〜人にはどうしても忘れられない衝撃がある〜

あれは小6のある日

私は、師匠と思い慕っている、仮面ライダー博士のオンチ君(仮名(本当は本名))と二人っきりで、月岡第二公園で遊んでいた

師匠オンチ君の口癖は「チョイ、チョイ」だった

彼はどんな時でも、その口癖を発していた


その日もチョイ、チョイと仮面ライダーゴッコをして遊んでいた

私は1号ライダーが好きだったが、師匠オンチ君も1号ライダーが好きだったので、彼とライダーゴッコをする時は、1号を彼にゆずり、私は次に好きなV3になる事になっていた

いつものように見えないショッカーやデストロンと、我々二人は戦っていた

「トォー!」
「トォー!」
と気合いを入れながら、我々は次々と見えない戦闘員を倒していった

師匠オンチ君1号ライダーは、滑り台の階段を駆け上がり、頂上でキメのポーズをとった

さすが師匠オンチ君1号ライダーは様似なってるなぁ
と感心して見ていると、突然何を思ったのか、彼は頂上の柵を飛び越えジャンプした

「スゲッ!」
と思ったのも束の間

師匠オンチ君1号ライダーは、左足を柵に引っ掛け、頭からまっ逆さまに地面に叩きつけられてしまったのである

「あ゛」

私はただ呆然と、そこに立ち尽くしてしまった



彼は何事もなかったかのように、スクッと立ち上がり、服に付いた土を「チョイ、チョイ」といいながら払い笑顔を見せた

私も笑顔を返したが、その日を最後に、二人のライダーゴッコは終わりを告げたのでした

  


Posted by ⇒ガGラ at 00:01Comments(12)